五辺国は可約か?――ケンペによる四色問題「解決」

 四色定理の証明は,五色定理とくらべて格段に難しい。四色問題に関する可約配置は当然すべて五色問題に関する可約配置である。しかし,逆は真でなく,五色問題の可約配置は必ずしも四色問題の可約配置ではない。五色問題では,二〜五辺国がいずれも可約配置だったので,{二辺国,三辺国,四辺国,五辺国}が可約配置の不可避集合となった。四色問題でも,{二辺国,三辺国,四辺国,五辺国}が不可避集合であり,二辺国,三辺国,四辺国が可約配置であることはこれと同じだが,五辺国は可約配置でなかった。四色問題において,可約配置の不可避集合を作るのは極端に難しい作業で,アッペルとハーケンがようやくたどりついたのは,1936個もの可約配置からなる不可避集合だった。色を一つ節約するために,種類にして484倍,配置の複雑さを考えれば何万倍もの規模の可約配置が必要とされた。改良された四色定理の証明では,633個の可約配置からなる不可避集合を作っているが,それでも人間の手には負えないほど複雑だ。
 19世紀末の十年間,誰も不備に気づかなかったケンペによる誤証明は,「四色問題でも五辺国が可約配置であることを証明できた」とするものであった。もちろん当時は,可約配置とか不可避集合とかいう概念が定式化されていたわけではなかった。今から見ると実質的にケンペの証明はそう言っていたということなのだが,その誤証明を紹介したい。
 四色問題において,二辺国,三辺国が可約配置であることは,五色問題と同様に自明である。四辺国も可約配置であるが,まずこれを示す。四辺国の周囲四国の色がすべて異なるケースが問題になる。これらの色を,時計回りに0,1,2,3と符号をつけて区別する。これら四国を順に国0,国1,国2,国3と呼ぼう。そして国0と国2に注目し,国0〜3よりも外側にある国々の塗り分け状態に応じて,場合分けをする。
 場合Ⅰ。国0から出発して,0−2−0−2−…という二色交互のケンペ鎖が,国2にまで届いていない場合。この場合には,国0から始まるこのケンペ鎖において,0と2の色を入れ替えても,国2の色に影響はない。そうすると,四辺国の周囲に色0がなくなるから,四辺国に色0を塗ることができる。五色目は不要。
 場合Ⅱ。場合Ⅰ以外の場合。すなわち,国0から国2まで,0と2のケンペ鎖がつながっている場合。ここで国1と国3に注目する。すると,この国1から出発するケンペ鎖は,国3までつながっていない。なぜなら,先の0−2ケンペ鎖によって必ず分断されているからである。よってこの国1から出発する1−3ケンペ鎖において,1と3の色を入れ替えれば,四辺国の周囲に色1がなくなるから,四辺国に色1を塗ることができる。五色目は不要だ。
 結局,四辺国の外側の四国が四色で塗り分けられていても,適切な塗り直しにより,四辺国を含めた地図が四色で塗り分けられる。つまり四辺国も可約である。ここまではケンペは正しかった。
 ケンペが誤ったのは,五辺国の可約性を証明する段である。彼の議論を見よう。五辺国の周囲五国に四色が使われているケースが問題になる。周囲五国のうち二国は同色であるが,もちろんそれらは隣合っていない。同色の国は,間に一つの国を挟んでおり,その反対側では間に二つの国を挟んでいる。地図の回転は同一視できるから,これらの色を,時計回りに0,1,2,3,1と符号をつけて一般性を失わずに区別できる。これら五国を順に国0,国1,国2,国3,国1’と呼ぼう。
 ちなみに,五辺国周囲の国々のうち,色1の国が二つの国でなく一つの大国である可能性もあるが,そのときは国0は外側(五辺国とは反対の側)を大国1(=1’)に包囲されているから,色2又は3で塗れることになる。そうすると,そもそも周囲五国に三色しか使われていないことになるから可約となり除外できる。
 場合Ⅰ。国0から出発する0−2ケンペ鎖が,国2にまで届いていない場合。この場合には,国0から始まるこのケンペ鎖において,0と2の色を入れ替えても,国2の色に影響はない。そうすると,五辺国の周囲に色0がなくなるから,五辺国に色0を塗ることができる。五色目は必要ない。
 場合Ⅱ。場合Ⅰ以外の場合で,国0から国2まで,0−2ケンペ鎖がつながっている場合。この場合をさらに二つに分ける。
 場合Ⅱ−1。国0から国3まで,0と3のケンペ鎖がつながっていない場合。この場合には,国0から始まるこのケンペ鎖において,0と3の色を入れ替えても,国3の色に影響はない。そうすると,国0の色は3に変わって五辺国の周囲に色0がなくなるから,五辺国に色0を塗ることができる。五色目は必要ない。
 場合Ⅱ−2。国0から国3まで,0−3ケンペ鎖がつながっている場合。この場合は,国1は国0から国2に至る0−2ケンペ鎖に囲まれており,国1’は国0から国3に至る0−3ケンペ鎖に囲まれている。とするならば,国1からの1−3ケンペ鎖は,0−2ケンペ鎖で分断されるから,国3までつながっていないはずで,同様に国1’からの1−2ケンペ鎖は,0−3ケンペ鎖で分断されるから,国2までつながっていないはずである。だから,国1からの1−3ケンペ鎖の色1と色3を入れ替え,同時に国1’からの1−2ケンペ鎖の色1と色2を入れ替えることで,国1を色3に,国1’を色2にすることができる。すると五辺国の周囲に色1がなくなるから,五辺国に色1を塗ることができる!五色目は要らない!
 以上ですべての場合が尽くされている。結局,五辺国の周囲の国が四色で塗り分けられていても,適切な塗り直しにより,五辺国を含めた地図が四色で塗り分けられる。つまり五辺国も可約である。??
 この証明の穴は,場合Ⅱ−2の論証にある。この場合,確かに国0から国2に至る0−2ケンペ鎖と,国0から国3に至る0−3ケンペ鎖は存在し,それらは国1からの1−3ケンペ鎖と,国1’からの1−2ケンペ鎖をそれぞれ分断している。しかし,これらの1−3ケンペ鎖と,1−2ケンペ鎖において「同時に」色の入れ替えをすることは必ずしもできないのだ。
 それは0−2ケンペ鎖と,0−3ケンペ鎖が途中で交わるような場合である。この場合,0−2ケンペ鎖の内側に0−3ケンペ鎖の一部が存在し,0−3ケンペ鎖の内側に0−2ケンペ鎖の一部が存在する。そうすると,国1から出発する1−3ケンペ鎖が,色3の国を0−3ケンペ鎖と共有してしまう可能性が出てくる。1−3ケンペ鎖は,確かに0−2ケンペ鎖に遮られてその内側に留まるのだが,そこで運悪く0−3ケンペ鎖に出くわしてしまうのだ。その場合にはケンペの議論は成り立たない。なぜなら,ここで1−3ケンペ鎖の色の入れ替えをしてしまうと,0−3ケンペ鎖が途切れてしまうのだ。そうすると「0−3のケンペ鎖がつながっている場合」という前提が崩れてしまう。国1’が国0から国3に至る0−3ケンペ鎖に囲まれているという条件がないと,国1’からの1−2ケンペ鎖の色を入れ替えて,五辺国周囲に色1をなくす操作が保証できない。1−3ケンペ鎖の色の入れ替えにより,色が3から1に変わってしまった0−3ケンペ鎖上の国を通して,国1’からの1−2ケンペ鎖が国2につながってしまったかもしれないからだ。これでは1−2ケンペ鎖の色を入れ替えても,五辺国周囲から色1は無くならず,五辺国を塗るための色が余らない。
 結局,ケンペは五辺国の可約性を示せていなかった。ヒーウッドは,0−2,0−3の二つのケンペ鎖が交わるようなケースを反例として示し,ケンペの失敗を十年ぶりに指摘したのだ。ケンペの論証は,四色問題における,五辺国の可約性を示すのに失敗していた。